一億総八百長

相撲界の八百長の話がニュースを賑わしている。
あちこち見てみると、大筋として、

  • 7勝7敗時の勝率
  • 全部ガチでやったら体が持たない
  • 昔からそういうのはあった

というのがほとんど。
個人的には、ずいぶん昔に、大相撲ニューヨーク場所だかハワイ場所とかいうのをテレビでやってて、外人さん向けにヤオ丸出しの試合をしていたのを見てから何か変だなと感じ始めた。ヤオ丸出しというよりも、サービス精神溢れる試合内容だった感じ。土俵際で際どく競って見せたり、吊ったり吊られたりしながらもみ合ったり、土俵中央で何分も動かなかったり、ツッパリの応酬をしてみせたり、立ち合い時にヒラリとコミカルにかわして見せたりといった感じ。
あーそういう事かと。考えてみりゃ、同じ会社内で同じ給料貰ってる仲間なんだなと。インチキしやがってというよりも、プロレス的な何を感じた。


んで、その八百長関連のニュースを見たとき、もうホッテントリにならんでいる記事のタイトルがだいたい想像ついていたのです。
しかし!自分が想像していたタイトルや内容のものが全然無かった・・・何故だろうか。とても不思議に感じた。
自分が想像していたものは、「雇用規制と八百長」的なもの。雇用規制があるから、八百長が起きるのだ。という話があるだろうなと思っていたら、あらまあ全く無いのです(探しきれていないだけかもだけど)。
相撲取りって、相撲取りじゃなくなっちゃったら、ちゃんこ屋開くしか道がないので、インチキしてでも相撲界に居座り続けるしかない、とかなんとかって話があるんだろうなと思ったら無い。何かあったら雇用規制が悪い。ってなんでもそっちに持って行く人達にしてみれば最良のネタであるはずなのに・・・


雇用規制がある為に、なんでもガチで勝負出来なくなって来ているのは確かなんじゃないかと自分は思い始めている。
仕事をやっていて最近、特にそう感じる。
自分が仕事を始めた頃、世間には「ことなかれ主義」という言葉があった。摩擦を起こさないように、揉め事が絶対に無いように、前例の無い事はやらないようにといった事なんだけど、当時は、そのことなかれ主義は、みっとも無いというかダサいというかあまり良く思われていない雰囲気の意味を持っていた。そういう主義を持つ人は後ろ指をさされたものであった。
しかし、今ではことなかれ主義なんて言葉を聞くことは無くなった。全く無い訳ではないけど、もう一般的に使われない。そう、いつのまにか、ことなかれ主義が当たり前の世の中になってしまっていたのだった。もう何がしかの摩擦があったり、そうなりそうだったりするものは全てやらなくなった。考えの違いで起きる議論ですら、やっちゃいけない感じ、前例の無い事はやってはいけない事になっている。


あたって砕けろ、とにかくやってみろといった話も聞かなくなった。計画して、実行、それを評価して、改善して、さらに良い計画にする事を前提に計画する事が当たり前になった。だから高い目標にチャレンジしてダメになるよりも、あえて改善の余地を残した状態でチャレンジして小さな成功を得て、さらに改善してまたちょっと小さい成功を得る事が持てはやされる時代になった。失敗は絶対に許されない時代となった。
とはいえ、やってみなけりゃ解らないという事も全く無い訳ではない。そういう場合は、失敗したらどう言い訳をするか、完璧な責任転嫁を設計してから、チャレンジする事になる。その時点で失敗する絵を書いているので、完璧な責任転嫁が厳しくなる状況にちょっとでも近づくと、"正しい失敗"にすぐに落とし込む作業に入ったりもする。いったい何をやってるのか解らなくなる事が増える。
もう何もかもが八百長なのである。


これって、こういう事になってるんですよ。というワクから抜け出す事が困難な時代。こういう筋書きになってますから頼みますよ。という八百長がとにもかくにもついて回っている。いやな事だな。と思いつつも、はてなに蔓延る、クズ経営者やクズ学者などが「これは解雇規制が」「デフレが」などといった毎度おなじみの論が出てこないと、よし、いつも通り、通常営業だなと納得できない自分がいる。八百長の美学を認めてしまっている。