物事の効率化は幸福に繋がるのか

「勝間和代vsひろゆき」討論はとても大切なことを世に問うている

『正義』や『正しさ』をたてて人を論難したり主義を通そうとする姿勢そのものに潜む欺瞞をこの対談はひどく意識させてくれる。このことは、吉本隆明氏が親鸞上人について語る時に繰り返し出てくる観点でもあるのだが、『正義』を自分の内に持って自らを正そうとするのはよいが、これを外に出して、他人や世間に押し付け、人を裁くようになると、どうにも怪しさと危うさが漂うようになることが多い。

昨今の日本は、安心/安全の旗頭の下に、徹底的に正義を押しつけ合い、社会全体が非常に窮屈になっている。私などこれこそ幸福度を下げる重要な要因の一つなのではないかとさえ思う。どんな細かいことでも始終『善』や『正義』でお互いを責め合う社会に私は住みたいとは思わない。

私は、主に工場を相手に、建物や生産設備や付帯設備にまつわる業務の効率化や省エネ化を目的とした、システム・装置等を提案して、納入、工事を行う仕事をしているのですが、上記の記事を読んで、ピンときたというか、なんとなくぼんやり思っていた事が明確になりました。
顧客に対して、この提案を実行すれば、安心低リスク/安全/低コスト/省エネ/人件費低減/効率化/利益率UP等などといった効果が見込めますよ、投資金額はhogehoge年で回収できますよ、といった話で、ウン十万からウン億円の案件を多数こなしているのですが、どうも何かがおかしい。
概ね、プレゼン通りに投資した分の効果は出ているし、効率化も進み、顧客も満足し、満足するからこそ、こちらの更なる提案も受け入れてくれるといった感じで、もうまさにwin-winなんですが、そこで働く従業員の顔色が悪いというか覇気が無いというか、何かがおかしい。


こちらが顧客に提案する場合、たいていが顧客担当者は課長クラス。その担当者が、さらに上司なり、一部役員なりが参加する投資確認会議のような場所でこちらの資料を持って、説明をし、そこでokが出れば、さらに上の会議に出され、そこでokをもらえると発注が来るという感じなのだけど、その際に使われる資料は私が(こっそり)作成しています。
この資料は、法律や条令などを引用し、順法であること、使われている計算式の説明、専門家の意見/見解、業界のトレンド、利益率改善などなど、善や正義を徹底的に入れ込んで、暗に「年にhogehoge円をドブに捨てているようなものだ、株主に訴えられたら、この担当の部署や役員はタダじゃすまんよ」といった感じの資料になっている。
私はあくまでも"ご提案"の範疇でしか作成しないし、提案を採用するかどうかは、顧客が考える事だと思ってるけど、一部の同僚や上司は、顧客に圧力をかける為に、顧客の経営者に直接連絡したり、その経営者の友人(リアル戦友)とか有力株主にチンコロしに行ったり、同業他社がいる業界団体の集まりの席で、あそこは遅れてるとウワサをしたりといった行動を取る人もいる。そういうのが営業活動だともいうらしいけど。


こちらが提案する案件は、まず基本的に「善」であり「正義」であり「効率」が上がり「利益」がアップします。これはもう間違いは無い。それじゃなくちゃ誰もお金を使ってくれない。作成された資料に不備があったりする事もあるし、ツッコミが入ることもしばしばだけど、法令順守/善/正義/効率化/利益up/CSRの念仏を唱えていれば、ほとんど問題はおきません(まあもちろんそう簡単ではないけど)
もうとにかく、正義の押し付け、押し売り。とにかく正義なんで、誰も逆らえない。

  • 重油ボイラーを都市ガスで動かせるように改造(CO2削減、燃料費削減、燃料受け入れ等の手間削減)
  • ボイラーを有資格者が必要ではないタイプに変更(効率UP、人件費削減)
  • 工場のあちこちに点在している装置の警報信号を一括管理(人件費削減、効率化)

↑あくまでも一例で一般的な事しかここでは書けませんが、このような事を実行したりします。
すると、数字上はとても効果が出ます。お金が浮きます。会社の業績も上がります。
でも、そこで働いている従業員にとって良い事が実はあんまりない。例えば、資格手当てが付かなくなったり、のんびりとやってた業務が無くなり、プレッシャーの大きな業務が増えたり、今までとは違う、難解な装置を扱わないといけなくなったり、定年で退職する人がいても補充の人間がいないといった事が起きるようになる。
大変な仕事が減るといいよね、機械やPCにやってもらうといいよねと言ってはいたものの、実際にそうなってくると、残された仕事にゆるいものが無くなって来る。たんに仕事が忙しくなるというよりも、余裕、バッファーが無くなって来る。するとなんとなく暇な人が掃除をしていた部分が掃除されなくなってきたりする。
余裕が無くなって来ることで、いろんな問題が噴出してくる。この余裕がなくなる事によって出てくる問題というのは、現場の人間でも把握するのは難しい。
新しい提案がなされる前に、これこれこう言う事をやろうとしています。こういう仕事は少なくなると良い、PCでやるのが良いって言ってましたよね、という説明会を行うのだけど、こっちが用意した、練りに練られた提案書(善と正義のてんこもり)には誰もケチが付けられない。


とある工場に関わって7年になる。そこでかなりの仕事を行った。今後も行う予定でいるのだけど、現場の人に私は嫌われている。みんなお前に騙されてるという事らしい。
もう何度も言われているが「おい、年収400万の工業高卒おっさんに何やらせようとしてんだ、俺達はそもそも、工場のパシリで雇われたようなもんだ、難しい事は出来ないぞ、大変だと言ってる仕事は減らなくていい、他の難しい仕事が増えるだけだ。あんたの仕事は「大変な仕事」を減らす事だろ?その「大変な仕事」は俺達にしか解らない。俺達がしゃべらなくなったら、あんたらは仕事が出来なくなるぞ、メシの種がなくなるぞ」
クチは悪いが良い人で、何度も酒を飲んでいる。酒の席で聞き出した「現場の俺しか知らない」話を、それとなく表面化して効率化して、結果、その人の現場への影響力が下がって発言力も落ちた(=会社側にとっての効率化)。こういう事が3度はある。露骨にやらないようにはしていたが、酒を飲んでも、あまり話をしてくれなくなった。
話をしてくれなくなるのはすでに折り込み済で、現場には社員の他に、業務請負で入っている人達や、派遣で来ている人もいる。社員以外の人達は、期限があるので、微妙な時期に担当課長と同席で話をすれば、大抵のことは話してくれる。話しにくい事を話してくれた人は契約延長、悪い意味で現場に染まってしまった人は、契約書に基づいて契約終了。汚い、管理職、さすが汚い。


日本全国でこれに近いことが行われているんだと思う。閉塞感とはこう言う事をいうのではないだろうか。善と正義押しでやってくる相手には、それよりもさらに上の善と正義押しで対抗しなければならない。しかし相手は用意周到にやってくる事がほとんどだからかなり困難。グチや罵倒で返しても全く勝てないし、ソレ言っちゃったら負けを認めるようなもの。
就活の酷い話を聞くとなんかさみしい。新卒なのに即戦力を求められるらしいんだけど、昔は新入社員なんて何にも出来なくて良かったんだよね。自分もそうだったし。それがさまざまな効率化によって、テキトーな仕事はほとんど全て機械やパソコンで置き換えられている。ある程度までの効率化はあった方がいいんだろうけど、いきなり「男ならバック転くらいできるよな」みたいな話になってる事が多いような気がしている。